2009年10月8日木曜日

hello,planet

みなさんご機嫌いかがでしょうか。
yumikoです。

ご存知の方もいらっしゃると思いますが、
この度「山p」名義でまころんさん(mylist/4823858)の動画の
制作に参加いたしました。

自身の思惑もありyumikoとしての声明は控えるつもりでいましたが
当初の構想とは大分違う状況の現在。
そのズレから多くの疑問符が飛び交うのを目の当たりにして、
これはハッキリと正直に自分の考えをお話しする姿勢があった方がいいか
と考えました。

都合によりこのような時期になったことをお詫びいたします。

どうしても気になる方へ向けての「質疑応答」です。
そのため、かなりパーソナルな内容を含めて詳しく話しています。
無駄に長いものになりましたが、多くの疑問に対する「答え」として
どうぞご理解くださいませ。
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Q 動画の感想

色々思い出しながら、考えながら、単純に感動しました。

自分の動きが分析されることを踏まえて動く、
かなりの重荷があったと思います。
本当に丁寧に一つ一つ確認しながら動いていることがうかがえて
「伝える」ために頑張ってくれたのだろうと感じました。

あまり多くの言葉をならべて嘘臭くなるのも嫌なので
これ以上は省略させていただきます。

個人的には、曲の世界観もあって
児童向け哲学書みたいな雰囲気に仕上がったと思っています。
簡素な動きにたくさんのコードをつめた、すごくお気に入りの作品です。

私のパートに対する反省として。
「まっすぐ」な誠実さや優しさもまころんさんの一面に違いないと
思うのですが、もっと彼女自身が自由に感じられるはっちゃけた
お茶目な遊びが欲しかったかな・・・と思います。

ま、そういうのはまた別の曲で別の機会に・・・



Q 選曲について

はじめは、まころんさんがよく聴く曲のリストから選出をする予定でした。
なかなかコレという曲が決まらず、同時に私のほうでもイメージに合う曲を
探していて、丁度この曲にピンときたのでどうだろうかと提案したところ
とてもよく知っている+賛成!との返事をもらい、この曲に決めました。

ささくれP、素敵な曲をお借りしました。ありがとうございます。
この曲じゃないとできないことがたくさんできたと思います。
本当に楽しかったです。



Q ダンスのスタイルについて

私たちは知覚や認識をアウトプットする(表現する)時に普段「言語」を使います。
多くの人にとって言語が表現の第一手段なので、慣れとともに
意識して使わなくなり、その力を過信して・・なんてことがよくあります。
しかし所詮は「言語」自体が「定義を共有する」ことで成り立っているわけで
二つの意識の間で着実に近づきながらもどこまでも交わることのない
反比例のグラフのような無情の存在だと思うのです。
現実には勿論、
それでも厳選された言葉で核心を突くための表現が必要になるシーンもあるのですが
私はそんなところを目指すよりも、使いやすく使い慣れた、純粋で曖昧で簡単な単語に
魂を籠めることのほうがずっと魅力的だと思います。

なんなら文法が誤っていても全然構わないのです。
バリューはそんなところにありません。
例えば、自然と同じ単語を繰り返して使うことも「人格」の内であり、
その人が何かを発信する時それはキャラクターという大切な要素になると
思っています。

私がニコでつくる運動パターンは、自身の価値観、思想、哲学(パーソナリティ)
そのものであって、言うなれば皆さんにとっての「日本語」のように
考えていただいて間違いはないと思います。
そこには言語のように「共有するための明確な定義」はありませんが
確実にメッセージがあります。
重要なのは、この意思なのだと思います。
外国語をいくら流暢に話せても伝えたい内容がなければ意味がないのです。

舞踊でさえも言葉やファッションと同様TPOに合わせてスタイルを変えること
(視点を変えられるキャパシティ)が重要なのだと思います。
ステレオタイプ的な、一般にイメージする"ダンス"の再現のためのダンスほど
くだらないものはないと私は考えます。

勿論、制作中一つのまとまりとしての(曲単位など)バランスチェックも
行いますが、この「人格」を最後まで大切にするように気をつけています。



Q 振付について

価値観のベースとして
私は普段から「あるべき姿」を大切にしています。
例えば、この企画の最初のチェックポイントは「利き手」についてでした。
自身は右利きなので、当然のように右利き用のパターンをつくります。
まころんさんも右利きなのでそのまま振りをうつしました。
(左利きの方は是非反転して、踊りやすくしてみてください。)

今回♪ハロープラネットを踊るために、まず
チップチューンの音が与えるイメージをとりあげました。
そのポイントをおさえながら、実際に運動パターンを組み立て始め
できるだけシンプルに余計な動きを入れず曲の世界にシンクロ
させることに努めました。
また、今回インタープリターがまころんさんなので、
今までの彼女の動画を資料にして「どんな動きが動きやすい(にくい)
自身の性格としっくりくる(こない)」等のリサーチを徹底して行いました。
私としては、彼女自身が動作のなかで「嘘」をつかなくていいものを
心から楽しめるものを創りたかったのです。

歌詞と世界観については
「言語」を「言語」で説明することになるので控えます。

ま、あれです。
私は悲しい顔をして「悲しい」を表現する人を絶対信用しません。

『追記:
上のコメントについて難解だとの指摘をいただきました。ありがとうございます。
これは、「なんで悲しい曲なのに笑顔なんだよ!」の問に対する私の価値観です。

ここでの「表現する」は、表現行為=アイディアのフィルタリング
つまりインタープリテーション(解釈とその表現)のことです。
純粋に感情を表現することではありません。
振付の話をしていた延長だったため、基礎部分の説明が疎かになりました。
失礼しました。   』




Q なぜまころんさんなのか

単純に、生活の中でアイディアを共有できる人に出会える確率は低いのです。
例えば、「捻る運動です。腕を水平に振って、首も一緒に良く捻ります。」
これは音楽体操の口頭説明の一部なのですが、テキストに忠実に従いながらも
私たちが良く知っている原型とはまったく違う斬新な動きを創ってください。
とお願いしたときに、
まころんさんからはおっかしな動きが返ってきます。

そういうことです。

私は、「近づいてみたいもっと知りたい」と思う人に出会った時
あなたのここが好きなのだと言い続けます。
それは第三者に対してみせる私の姿勢ではなく
「私がどれだけ興味を持っているか」を彼女自身に伝えるためです。

私にとっては、何をするかよりも誰とやるかの方が重要で
「誰かに私の運動パターンを踊ってほしい」と以前から真剣に考えていた
わけではありません。偶然出会って、色々な話をして。
その時「この人と何かやりたい」と思ったから、アイディアが生まれました。

人格を通して信頼できる強いつながりを持つことが、
誰かと一緒に創ることの最大の喜びだと思います。
機会は今かneverかですから
だから、やれることは全部やっておかないと。
パーティーは一番最後に眠りについた人の勝ちなんですって。
ね、まころん。



Q 可愛いっていわれんのが嫌とかどういうことだこのアマ

あら、なんですか。そんなこと言った人がいるんですか?
女の子でしょう?酷いひねくれ方ですね。可哀相に。

冗談す、先輩。

てか、私は別にこの単語が嫌いなわけではございません。
実際は結構使ったりもします。
この単語に限らず理由があって意識的に避けている
単語ってのはありますけれども、
そういうのは全てそのモノが嫌いなのではなくて
その単語をとりまくエピソードが嫌いなのであって、
単語にはなんの罪もないですよね。本当。

かわいい、に関しては「安っぽい形容詞」ってカテゴリに入るので
使うのを避けています。
そのカテゴリに大事な何かを入れるのが既に失礼に値すると思うので
本当にかわいいと思うものには特に、超かわいい、とか言いません。



Q まころんをたぶらかしやがって、全部お前のせいだ。

本当に、そのとおりですよね。
ごめんなさい。反省してません。

いや、すっごいしてるんだけどしてません。

例えばですね、
頼み込まれて乗り気じゃなかったけど最終的にはやりました。
だとしても、最後に選択したのは自分なのだから、
すべて私自身に戻ってくるものだと、怒られんのは私だと覚悟しています。
だから、後悔しそうなことはやらないし、やると決めたら全力でやります。

正直、怒られるその瞬間は
誰が提案したのかなんてどうでもいいのです。

まころんさんと様々な題の話をするなかで
こういった"経験値"みたいなものをシェアできる感じがしました。
               勝手に。

私はまころんと色んなことを一緒にやってみたいと思います。
やるかやらないか それはまころんさんの選択ですし
何にしたってちゃんと腹を割って話し合える関係だと思ってます。
               多分。

あれ、ちょっと不安になってきた。

そんなわけで、私が勝手に謝っちゃいけないと思うのです。
私が決めたことに関しては私が対応しますが
まころんが決めたことに関しては、一切コメントできません。
それが私の友人に対するリスペクトの形です。



はーい、今さっき「お前の腹はもう割れてんだろ」とか思った人
ちょっと生徒指導室まできなさいね



Q あたしにも振付つくってください

意味のないもの、安いものは創りたくないので、
今直ぐ「うんいいよー!」とは言えないのだけど、
そこに興味惹かれる面白そうな何かがあるならば
why notです。

まずは、いいお友達から、はじめましょうか。ね。
で、具体的なことは仲良くなってから考えましょう。



Q てかなんで、山田名義なんですか。面倒くさいんですけど。

ねー、本当。
こっちも面倒臭くなってきました。すいません、あはは

当初、今までと違う新しい"アクション"を起こすのに
yumikoのネームバリューを使いたくなかったので、
動画のクレジットではyumikoの名前を伏せるようにお願いしていました。
(この時はまだ山田というキャラを想定してはいませんでしたが)
yumiko以外の名義を作った最大の理由はこれです。

現実には色々事情がありますから、もちろん最終的に今のかたちで不満はありません。

まころん生放送のゲストにyumikoとして出たことも
全てがごちゃ混ぜになった原因でしょう。
「機会はそう巡ってくるものではないのだし、まあ楽しいならいいか」と
私ちょっとズルズルしちゃいました。えへへ。
結局楽しかったので全く後悔はないのですが、確かに、動画の発表までの
プロセスを考えればちょっと中途半端で残念だったかもしれません。

(ただ極度の飽き性と超適応能力が主な成分である私個人にとっては、
最初に目指していた方向に収まっちゃったりしたら全然面白くないので
大歓迎です。計画破綻とかコントロール不能とか。)

そんでまた、私はその残念な感じこそ「山田さん」なんだと思います。

一定の間、yumiko活動で「実験の姿勢」を貫くことで
「コミュニティ(ニコ動)」内ではだんだん異質な存在として定着してきます。
そうなると特別扱いされるのが本格的に苦痛になり
「だったら普通のニコ厨になりたい。それにはyumikoは重すぎる。」
これが山田さん(キャラクター)が生まれた理由の一つです。

山田というのは何から何まで中途半端なキャラクターで
不真面目でやり遂げない。をモットーにしていて、
救いようのないグダグダそのものがコンセプトです。
一つ一つに理由を探すyumikoとは対極で、しかしながらこれも私の人格の一部に
変わりなく、私はそれを他人に見せることになんのコンプレックスもありません。

yumikoを知らなくて山田を知ってる。そんな方がいてもいいのではないでしょうか。
yumikoは嫌いだけど山田は好感もてる。逆も然り。いろんなパーセプションが
あると思います。両方知っていて両方に好感が持てない人にとっては
「yumiko」を「叩く」いい燃料になるでしょう。
それでいいんだと思います。それが、いいです。

自分も他人も騙したくないので、普通にすっごいダメな部分もみせて
それで思いっきり怒られたほうがスッキリで好きです。


今後必要になればまた新しいキャラをつくるかもしれません。
どれもひとつのキャラに過ぎず、
私という人格の一片をデフォルメさせた虚像なので。
あんまり信じないでください。

※ちなみに山pは元々まころん動画クレジットのための名義でした。
これが「山田」の名前の原型です。
今となっては残念ながらごちゃ混ぜなんですが。ごめんなさいでした。

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いやあ、にしても馬鹿みたいに長かったですね。
お疲れ様でした。
今回はここまでです。




モノは主観でみたいようにみえるものだと思いますので
誤解やすれ違いは仕方のないことだとも思います。

それをふまえて、みなさんの感想や疑問をきかせていただければ
私が足りない箇所を自覚するために大変参考になりますので、
どうぞよろしくお願いします。


yu

追記!※感想、質問はコメント欄ではなくぜひメールでお願いします。
なお、この追記以前にコメントをいただいていた方々には
大変ご迷惑をおかけいたしました。
深くお詫び申し上げます。